あなたが作る無料Wi-Fi Network
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2006年 11月 03日
(但し誤解が起こるが、それが上手に弾けるとかの意味じゃケッシテない。
物事は直にそうなってしまう。と言う事。そこでゲートが締まりマトモに素直に聞けないとなってしまう。この事にも、 と言うか?、、、ココに、このNETの伸びないという大きな原因にも感じる。 特に無意識に自分の思いを出すという事に美意識があるんだろうか? いやそうではなく、、、どう思われるか?と言う様な思いが多い様に感じる。 それは例えば 同じ事を有名な漫才師が言うと大きく受けるが! 全く同じ事を同じ様に喋ってもまったく受けないのと全く同じ事がそこで起こるという事。 原因は概念で物事を見てしまうという事に起因している。 だれがと言うセンサーのゲートがそこで聞く事を拒絶してしまう。それも意識せず働いてしまうという事だろう。これもヒトの特長だ。 だから当然の様に あの総理になった安倍さんがマサにそう、、、、直ぐに概念の刷り込みがTVと言う媒体を使い行われるという事だろう。様は何処の馬の骨では困る訳である。(それは幾ら大臣筋であっても。) そうしてこれは、、、、一つの安心という事を刷り込む一つの上手い背策だろう。 何も手放しで安心出来る訳ではない。実は誰がなろうとそう違いはないだろう。 電灯の球というダケだろう。ナンボでも付け替えが出来る。何も総理が実務をしている訳じゃないだろう。こう書くと政治に関心ある様に思われるかも知れないが。 実は政治には全く関心がない。思想などという概念事に全く興味はない。 TVを見ていても政治はまるで茶番劇そのモノ。その無関心を刷り込んでいる様にも感じる。 (だから、これでは任せなれないと思うヒトが出て来ても良いとは思うが出てこない。 もう一人がと言う時代じゃない。これが無関心を呼びこの現在なんだろうか?) 無関心がイケナイ事も十分知ってはいるが又違うアプローチもあるかと思う。 望むべきはこの国の将来がはたして大丈夫だろうか?、、、、、とケネンする。 白洲次郎の再放送があった。その時々で現われ、貢献し、、、と、、、マサに「風の男」 現在にも当然、存在するはずだ。 、、、、、、、、、、、、、 様はこの様に何処の馬の骨でも何でもすべてが同じだろうと思う事。 同じ土壌に立てる事が出来るんだという事。それがこのNETだと思う。 概念など何の役にも立たなくなる世界がここだろう。ココはそう言う違う意識に出会う場所ではないだろうか?あくまでもいろんな可能性を秘めた一つの道具だろう。 現在はまだ、どう使おうとそれは皆に委ねられている。大事に育てたい。 話は戻ろう。 自分自身がそれで楽しいと言う、実に素朴な感動だと言う事。トテもひと様に聴いて貰えるレベルじゃないと言う事。マサにココには自己満足という「独り善がり」である。 流暢にそれが出来るという意味じゃない。それはない。そんな事が出来ればそれで飯が食えるだろう。) 毎日まず朝顔を洗って直ぐにピアノに数分思うまま弾いてみる。 こうして一日が始まる。 仕事が終わり返って来て、又直ぐにピアノに向かう此れ又数分。 その後寝る迄の間時々弾いてみる。約1時間以内から2時間。 こうしての90日そこから感じた思い。 そこでココ迄わかったと感じた事。 (でもこれはマトモには聞けないカモ知れない。ド素人の戯言である。) 自分でも驚いている。 (再度間違いが、あると困るのでこれは、自分の音楽であると言う事! ヒトがどう思おうと全く関係のない自分の為の音楽だと言う事。独り善がり!と言う事。) 0、やは音楽の基礎を知り。「其の”とうり”」弾かないとイケナイと思っていた。 1、今だからそれが可能になったと言う事。(聴き飽き、満杯になったんだろうか?) 2、様は 一音だけでもそれが音楽に成りうるという事がワカルという感性になると言う事。 3、感じたままを弾くという事。そう「いじけて」弾くのでなく自信を持って弾く事。 上手く弾こうなど思わず思うままに弾いて見る。其の出た音を、良く聴く事。 4、以外だったのは弾く事よりもそれを、終わる最後を決める事が弾く事よりも遥かに難しいと知る。 終われないという事。1時間は知らぬ間に過ぎている。以外だった手の疲れも全くない。 5、やはり自分でする事は実に楽しいと言う事。実に当たり前。この即興とは実に楽しいと言う事 案外難しくないと感じた。決まった様に真似るから難しい!! でも 此れ当たり前 ココ迄は数十年を必要とした 掃除していてもピアノのパンフレットが良く出て来る。懐かしい。 それがこうなった最後のキッカケは実はこのNETで、あるヒトに出会う所から始まる。 その人はもうこの世にはいない。ココロの中に確かに存在する。 ノダゴローさん ありがとうを!! 合掌 感謝している。それは この言葉から 創造をないがしろにした音楽教育のシステム はじめハノンという教本が良いだろうとのお勧めで「この猫に小判」を買う。 そうそう前置きとして音楽など大嫌いだった。好きになったキッカケはラジオを作りそこから流れる音楽に魅了される様になる。(聴くのは好きだった) 数十年ありとあらゆる音楽を聴き倒した。店のCD全部欲しいくらいになる。 そして最終ソロに行き着いた。 FMラジオで聴いた「ステアケース」との出会いが大きい。即鳥肌だった。 出て数年後の事である。其れの前の年に出た「ケルンコンサート」は知らなかった。 マサにこれを探していたという思いだった。それも即興というスタイルに憧れる。 キースは出るCD全て(ソロ)次から次ぎへとしゃにむに聴いた、繰り返し繰り返し聴く事で イヤーあ奥が深い毎回毎回違う感動が湧いて来る感覚が登り詰める様に高揚して至高体験が可能になる。 当然音符が読めず書き入れ右手から、、、、、でも上手く行かず。 エイー面倒だと「むちゃくちゃ」弾いて見る。数日それがつづく、、、、ゴメンなさい。 ピアノ購入前に店で実は 黒鍵を弾いて見る、、、音がこける。そんな不協和音を、、、その内黒鍵を3音4音適当に左右を弾けば、、、エエーと思うリズムが出来る。以外と曲になるではないか? それは日本風の現代音楽の様なリズムになるではないか? それも決まった方法でなく、全くの我流「独りよがり」が出来るという事。 やり方は まず一音を弾いてみて、、、、その減衰を良く聴き次の音を被せて行くという実にこれが音楽?と思えるたどたどしい響き それも、まるで階段を上がり降りする様なリズムこれを繰り返す。 時々 まず音楽も元々自分の中に存在するという事、、、、、、そう感じる。 なぜもっと早くから、しなかったのか?、、、、、、、、イヤ、今だから出来たという事。 但し、、、出来るという意味は自分が思う、感じている範囲での事。当然人が聴いてどう 感じるかはどうでも良いという事。 起きたらマズピアノに、90秒のイントロを吐き出して聴く。
by tkz_s
| 2006-11-03 22:49
| 最近感じた事、、
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