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2006年 10月 09日
「ブッダは、なぜ子を捨てたか」 山折 哲雄 / 集英社
さて感想を、、、、でもこれ書くとイケナイのかな? 良く言われるネタバレという 著作権侵害かな? 面倒ですね。本来ヒトの考えた事はすべてオープンですね。人類皆の財産ですね。 特にこう言う問題は特にそうであるべきと思う。 全てを全部書く訳でないから良いのかな?,、、,良いでしょう。 感想の前に (★でも方々で書いてるから感想は同じかな?取りあえず書いて見る。) ココは必要と思う前置きを取りあえず書きます。 本の、その中から、適宜要約で記入この始めは大事と思うから、、、、、 ============================================== プロローグ 1、 今、私はなぜブッダを書かなければならないのか。 どこにもいないからである。幾ら探してもいないからである。、、、、 どこにでもいる様で、何処にもいないヒト、、、、そんな事を考えている内は、ブッダの人生はまだどこか他人事めいていて、、、、言わばロマンの中のブッダである。物語の中で楽しんでいるブッダである。 そんな時、、、、ブッダはそんなところにはいない。ブッダはお前の中にいると。 お前はその事に気がついていない、ふりをしているだけだ。、、、 目をつぶれ、お前の中に光輝くモノが見えてくるだろう。呼吸を整えよ、その光輝くものが、、、エネルギーを発しているのに気がつくだろう。その時、勇気が全身にみなぎり、 お前はブッダになっている。 2、もう一つブッダを書かなければならない理由とは。 2005年この年はじめて死者の数と生まれる数が逆転したと。 それには背後に少子高齢化という大波が打ち寄せているからだ。 これと上記を考えると何が見えるか? 少々過激ないい方になるが。 いよいよ 「親捨て子捨ての時代」到来という思いを強くする。ー( 現在ブッダの時代と同じだ!!と、、、) なぜそうなったか?言わずと知れた、子育てが大変という事。子供から自由でありたい。 単純に生まないと、、、『子捨ての』の思想だと。 そしてそれは高齢者の負担がずっしりと負担を感じ、 (心配ないようにも思う国は支給年齢を上げれば済む事ぐらいにしか考えていないだろう。何の知恵も出す必要すらない、(ほかの事でも、)そうとしか思えない、、国民性を十分考え?、、こんなもんだろうか?でも、それが及ぼす影響を心配する。それは大きな根源的な信頼性の問題だろうから。でもこれを読んで、、、国民性がこれを許す、、、?言わばすべてをこの何処の馬の骨かわからん、、、我々が決めていると言う事。) 親孝行したくとも、もはや事情はゆるさず。介護システムに委ねる、でも財政が生きズマれば放置する他はない。。。。。 「親捨て」の時代が足音たたて、、、 でもこれは今に始まった事でもない。これは歴史的にも普遍的な問題であった。 これを深刻に引き受けようとしたのが歴史に登場の宗教者だった。 この解決策が「出家」という事態マサに親捨て子捨ての物語を引き起こさずにいられない行動の原点だったと思う。それはブッダ、キリスト、そして弟子の人生を探る事でそう言う悲劇が見える。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 彼らは家をすて家族をすて,、、何を捨て何を得ようとしたのか? 私が問題とするのはブッダが自分の親捨て子捨ての悲劇からどうして自己を救い、他者も救ったのか?ブッダの乗り越えたヒトの苦難の道程とはいったいなんだったんだろう? ★それを改めて掘り起こしこの現在の悲劇的状況から脱失するすべをここから見つけたい、、、 と、、、。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ それは、教団という組織の中で伝説化され神話化 (これをしてはイケナイ!と言ったはずですね。でも全く逆の豪華絢爛ですね。) されたブッダの人生の経過をその始めの原点に立ち戻って検討する時が ★やって来たと言ってもいいだろう。 (ここに戻ろうと、いう実に純粋な当たり前な素直な事。でも?こんな事言っても良いの?先生に怒られる?) まずブッダの人生はどんなものであったのか? そもそも、、、ブッダの人生の影がささない様な、仏教の歴史にどんな意味があるのか? 価値があるのか? ブッダがこの世を去って2500年世界に広がり仏教が時代を越え、地域を越え、押しも押されぬこの存在感の歴史。しかしココにブッダのイキイキとした人生を映しているだろうか? 我が国の中で独自の日本仏教とも言える宗教に変容した時にブッダはそこに生き続けているのだろうか? それよりもブッダの人生とは対立したり分裂して来た光景がきわだって見える。 それは ブッダの人生から遊離した仏教の歴史 ブッダの生死を踏み台にしたしたダケの仏教の歴史が蓄積され、その破片や断片だけがあまりにも無造作に積み重ねられて来たにも見える。 宗教対立や宗教分裂、、、宗教戦争の原因になったりそれに巻き込まれたり有為転変の歴史ではなかったか? ============================================== という前書きです。 ★様は 『仏教の開祖ブッダ』、その ヒトの人生を紐解いて行きそこには、なまなましい普通のヒトの人生を重ね。ると見えて来るのでは? そう この現在の悲劇的状況を思うと、そこには何かヒントがないだろうかと言う 山折さんの考察である。 ダイタイこの危機感が現在の宗教家にまず感じない。がその思いだろう。 実は同じ事を思っていた。のです。そう宗教の難しい事は知らないですかこの予感は以前から 肌身に感じていた事だ。 なぜ誰も本当の事を言わないのかなと不思議に、、、、て思っていた。 (あの昔の方便を未だに使っている。だれも見向きもしない、当然この希薄です。) だからやっと出て来たが実感です。ド素人がわかるのになんで言わないの、書かないの? そうだ。書けないんだ!、、、、、そう思っていた。 そうでしょう、これ誰でも思っていた事ですね。 違いますか?、、、、、 現在宗教は消滅した様に思う。存在は葬式と盆正月と言う状況。 何故か? ヒト一人救えないですね。機能しています? 本当の事は書けないのが本音でしょう。 これ暗黙の了解その一ですね。 やっと 外れた、、、、他にこんな切り口あるかな?しらんだけでしょうね。 マズは感想の前のプロローグ本文からの要約,、、追加など、、もあり、です。 感想っていってもダイタイもう書いてる気もする、かな、、? でも、、、同じだもん、、、、な? まあーええか? ふと、、、 これと同じ事を全くのド素人が発表すればどうか? 多分無視だろうな、、、、ココに大きな意味があり、、、可能性がある。 これから、、、の、、、大きな可能性を既に手にしているのに、、、、 これは試しの時。なのかもしれない、、、、、
by tkz_s
| 2006-10-09 23:31
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Comments(7)
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tkz_s at 2007-05-24 23:05
「仏教の源流」著者;山崎勇夫 里文出版を見つける。
この題で、内容が見えた。 このヒトもその源流にこそ本当があると、、、科学と宗教はやはり同じと 宗教はやはり利用されている。それが解る故誰も、、、希薄にならざるを得ない。そうとは書いていないが、、、ハッキリ書けないのだろう 当然の今だ。
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nerdy at 2007-05-31 07:27
興味が湧いて来る題、紀伊国屋でみてみます。
仏教をあまり知らないから少し入ってみます。般若心経の解説本は読んだけれど他に沢山、本が豊富にあるし。 ベトナムの禅僧 でベトナム戦争時代にベトナムから逃げた人、Thich Nhat Hanh の著書 Living Buddha Living Christ の本は読みましたが良かったです。再読しようと思う。 ノーベル平和賞の候補の1人にあがるだけは上がった人。
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tkz_s at 2007-06-03 23:03
>仏教をあまり知らない,,,,
イヤイヤ私は全く知りませんよ。只初期のブッダの思いには損得などないでしょう。真心で人々に話しただけ、マサに身を削ってでもこの会得した思いは伝えたいとそれだけでしょう。そう感じるだけの事です。 故にこの現在でもミャクミャクと難しい言葉は知らなくても其の意味は既に育まれている。と言う事。 多分 Living Buddha Living Christ でも同じ事が書かれているんでしょうね?マサにヒトのココロの中にこそ宿っている。そう言う育みを受けている。マサに生きている。皆さん釈迦のココロと悪魔のココロを既に持っている。 まずこれを知る所からでしょうか?
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tkz_s at 2007-06-03 23:18
仏教の言葉から入る必要は何もない様に感じています。
なぜなら皆既に育まれているからです。意味は既に知っているんではないでしょうか?逆に知識は邪魔に思えるのです。概念で物事を考えてしまうからです。そう方便が多いと感じるからです。特に時代と共にその教えは歪んでいると思えるからです。多分ブッダは無神論者の気がしていますから。 只大きな問題は現在果たしてその上記育みがどうかな? 親の愛だけに感じているんです。なぜか? 巷の露呈を見てそう感じると言う事です。
ティク ナン ハンが書くにはブッダは神を反対しているのではなく、個の成長や唯一のリアリティに触れる事の邪魔になる単なる精神世界の構築になっている神の概念をブッダは反対している、となっている。
ヒンズー教の神でもブッダの神でもイエスの神でもモハメッドの神でもホピ族のメディスン マンの昴の星のインディゴの神でもアフリカの何族のシリウス星人の神でも日本の国家神道の神でも神に違いはなく、違いを作るのは神を解ると思っている人間、あるいは人間が其の解ったとする概念を独占化する欲求から生じた神の概念が問題を生じさせる事に発展する、と私は思っていたので、この本に出逢えたのは私の喜びでもあります。 優れた言語力が伴う人には神を言語化出来ると思う。やはり対話が重要なのだと思う。1995年に訪日しているようです。
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tkz_s at 2007-06-05 08:46
>神を反対しているのではなく、
>に触れる事の邪魔になる単なる精神世界の構築になっている神の概念をブッダは反対している、 やはりね。でも、それを感じているヒトは大勢いるはずに思う。 >★、、、、から生じた神の概念が問題を生じさせる事に発展する、と私は思っていたので、 (又これを、利用しようと実に巧妙に動いている。、、、、、わかるヒトはワカル!) >この本に出逢えたのは私の喜びでもあります。 (これが本を読む楽しみでもある、でもホントは違う考え方に出会うチャンスです。) >やはり対話が重要なのだ (誰でもわかっている、、、、でも、、、それをわかって利用しようと言う意識がある?) ★ (よりは、そうして更に違う考え方に出会いその意味する真意を聞き出しそこから 胸の内にあるモヤモヤを具体化する、「気が付く」と言う事がコミニュケーションだと思う。でもこれが案外少ないのです。 この事は案外ジャマクサイモノでも其の話をする話題よりも実は大事な事かも知れないと思う。様は座標合わせが一番大事いや、そう合わそうと努力する事に全てがある様な気さえする。結果は残骸やはり経過に全てがある、、、と思う。 マサにそこですね。
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tkz_s at 2007-06-05 09:04
何処かにも書いたが。
現在このコミニュケーションが進まないのもそれは、それで良い事に思っています。そうでしょうだいたいこの現実でも、こう言う話をする機会は少ない。あえて引き離されている様にさえ感じる。 思うのはそうでないと全て他人に話しかけその問題が話合いそこで話はわかったと結論付けてしまいやすく危険だと思うと言う事。 それがこのNETで更に加速されると言う事。 この事がNET最大の危うさだと感じている。 (将来ますます個人の思いは表に出る、出せる様になると思う。国民総評論家と言われるでもそれは、それで良い。例えば芸術のプロが芸術を本当に理解しているか?ある意味YES,でもはたしてそうだろうか? NOであると思う。一般大衆は馬鹿に出来ないと言う事。そういうプロを 越える意識が存在すると言う事。様は一人じゃないと言う事。 大勢の意識がそれを欲しそれは文化として花開くと言う事がそれを証明している。プロだけでは文化の域まだは出来ないですね。) 自分で悩み考えると言う事。これが感性を磨くと言う事。 其の知覚は鳥肌で感じる、脳じゃない! 全てはここかな?、、、と思っています。
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